着々と結果を出していた保険業界のレジェンド的存在の小林さんは、乱れた生活(?)の影響もあったのか、症状が現れた時にはすでに心臓の血管を5本もバイパスしなければならなくなっていました。
10時間を超える手術を経て、小林さんはその後の仕事にも生きる大きな気づきを得られています。
手術後のウォーキングの大切さも教えられる経験談です。(事務局長 鏡味)
「 心臓手術をした人も一緒に ジョギング&ウォーキング大会」ASFR2023年大会参加時の小林さん
■「体重も血圧も営業の数字と一緒で高い方がいい」――詰まっていた冠動脈
―――あらためて、心臓手術に至るまでの経緯をお聞かせ願えますでしょうか。
小林 手術をしたのは49歳から50歳になる時でしたので、それから15年ほど経ちました。当時の私はバリバリの保険の営業マンでした。寝る間も惜しむほどに働いていて、体重も約90kg近くあり、高血圧で、高脂血症で、人間ドックの数値はどんどん上がっていきました。それでも、営業の数字は高い方がいいし、血圧も体重も高い方が良いという馬鹿なことを言って生活をしていました。心臓病になる前の10年ぐらいはずっとそういった生活が続いていました。
さすがに身体が悲鳴をあげたのが手術の一年前です。期外収縮という病気をしました。さらに手術をする4~5ヶ月前の秋、アメリカに仕事で研修会に行った時のことです。飛行場での乗り換えで、着いたターミナルから次のターミナルまで500m ほどあったのですが、30kgくらいのスーツケースをゴロゴロ引いて移動をしていると、300mほど歩いたところで、息切れで歩けなくなってしまいました。
これは本当にまずいなと思った怖い経験です。
―――それは心細かったですね。
小林 帰国して近くの心臓内科を受診すると、やはりおかしいということで、色々な検査をしていったら、冠動脈が数カ所にわたって詰まっている、狭窄しているという事実が分かり、手術をしたほうがいいということになりました。
そこの先生と山口先生は、たまたま高校の先輩後輩だったので、同じ高校のつながりで山口先生を紹介してくださりました。これが手術に至った経緯になります。
山口先生のもとに紹介状を持って伺った時に、手術は約1ヶ月後にしましょうと言われました。その間に、もし何かあった時のためのお薬をもらったというふうに覚えています。
手術や入院に関しては、結果的には大変だったのですが、初診の際の山口先生の「綺麗な心臓にしましょうね」という言葉がとても心強かったです。「ゴルフができますかね?」と質問をすると「ゴルフもできますよ」と言ってくれました。この二つの言葉が私に大変な安心感を与えてくれました。こういうときにドクターが発する言葉は、患者さんをものすごく左右するということがよく分かりました。
■心臓手術の不安と向き合う
―――心臓手術を受ける際はどのような気持ちでしたか?
小林 手術はもちろん初めてで、とても怖かったです。その時に助けてくれた情報がいくつかありました。一つは山口先生が心臓の名医の本に載っていたことです。二つ目は、新東京病院にあった新心会(心臓の患者さんが集まる会)の小冊子です。
新心会の冊子がインターネット上に出ていることを教えてもらい、検索してみました。そこには、過去に心臓手術をした人の体験談が載っていました。これが助かりました。手術はこういう風に行われて、どんなふうに今後を過ごせるのか、といった情報が私にとって助けになったことを覚えています。
―――ご家族や仕事先の方とはどのようなことを話されたのでしょうか?
小林 私には妻と子供が二人いるのですが、私の母親にも妻の母親にも、いろいろな援助を求めました。私は茨城県の日立に住んでいるのですが、妻の実家は病院に近いところにあったので、妻の実家の父や母には大変お世話になりました。
妻とは、私が死んだ時に備えて保険の整理をしたりしました。万が一死んでしまったときの葬儀をどうするかといった一覧表もワードで打ちました。このときの心理は後々の保険営業にも活かされていて、お客さんが大きな手術をする際には、保険のチェックをしてから手術をしましょう、と言っています。
手術からの1ヶ月間は仕事ができないと分かっていましたが、もう仕方がないので、私がいない間の緊急性のものに対してはどうするか、という打ち合わせをしました。とりあえず1か月間は売上ゼロでも、お客様のアフターフォローができていればいいんじゃないかということで体制を整えました。
■どんな人がどんな場所で手術をするのかを知って安心に
―――実際に入院されてから、手術を受けたときのことを教えてください。
小林 新東京病院での手術の前日のことですが、麻酔医の先生の部屋に呼ばれ、麻酔の説明を受けました。そのあとで、手術室の担当の看護師さんが来て、「明日の手術室が空いているので、いま見ていきますか?」ということを言われたので、半分怖かったのですが、手術室を見に行きました。
電気をつけると部屋は凄く明るくて、「手術室は新宿の歌舞伎町みたいですね」という冗談を言ったことを覚えています。すごいなと思ったのは、前日に手術室を一回でも見ておくと、「明日あそこで自分は手術をするんだ」というのが安心感になるんです。
担当の看護師さんのお顔も分かったし、山口先生も分かるし、麻酔医の方も分かるということがとっても安心につながりました。こういう気配りのある新東京病院というのはすごいのだなと感じました。
手術はお昼の13時から始まりました。その日の山口先生の手術の二本目でした。13時から始まって、10時間くらいかかりました。私は状況が悪かったので、バイパスを5本ほど入れることになり、手術が終わったのは夜の23時頃だったと聞いています。なので、大変な手術だったのだなと思います。
ICU にいたのは2日か3日で、予定より早く一般病棟に移れました。個室の端っこの部屋だったので、他の患者さんが前を通らず静かに過ごすことができました。
手術は大変怖かったのですが、私にプラスの安心感を与えてくれたのは山口先生の言葉、そして新心会の手術をした方の体験談、そして手術の前日に麻酔医の先生や看護師さんに会えたこと。この3つが私の恐怖心をだいぶぬぐってくれたことを覚えています。
現在は当協会理事として、様々な形でASFRの活動に協力をいただいている (写真は「Vision Note」より)
■心臓手術後の健康管理―――ウォーキングという生活習慣
―――無事に手術を終えられて良かったですね。手術を終えて生活はどう変わりましたか?
小林 手術後は、やはりいろいろな悪い数値を落とそうということで、体重は90kgからだいたい77-78 kgまで減らしました。血圧も正常な数値になりましたし、高脂血症も大体 OK になりました。もちろん薬もたくさん飲んでいますが、そのおかげもあり、今でも正常な数値です。
あとはやっぱりウォーキングです。手術が終わって、家に戻ってきた時からウォーキングを始めて、今も朝5時半か6時くらいから歩いています。ここ数年で、スマホにウォーキングの記録を残すアプリを入れたので、今はだいたい毎月どれくらい歩いてるかがよく分かります。
私の住む場所には日立製作所の工場がたくさんあるのですが、そのひとつが家の近くにあります。一周してだいたい3.6 kmくらい、40分から50分弱かかりますが、そこを一周します。まわりに木がうっそうと生い茂って森になっていて、森林浴にもなる所です。そこがいつもの決まりのコースです。
雨が降らなければ週に3回から5回は歩いています。これは手術後から今まで続けてきたことなので、山口先生には半年に1回くらい心臓のチェックをしてもらっていますが、手術の前よりも心臓のポンプの機能がだいぶ良くなっているということを言われました。
―――やはり運動、身体を動かすこと、ウォーキングは大切なのですね。
小林 手術後の Quality Of Life、 人生の質の向上ということを山口先生が口癖のように言っていますが、その一番簡単な手段はウォーキングだと思います。ウォーキングをやってきたことがいちばん、生活習慣の改善に繋がっていると思います。
お酒も1年ぐらいは禁酒していましたが再開しました。「新心会」の新年会で上野精養軒に行った時に、心臓手術をした方がガバガバとビール飲んでいるのを見て、そこから飲むようになりました。
■手術の経験から仕事もチームワーク重視に
―――心臓手術の経験はその後の価値観や仕事にどう影響を与えましたか?
小林 自分自身が心臓の手術をしたことと、フジテレビ系で十数年前に放送された『医龍』というドラマを見たことで気づいたことがあります。手術室ではチームワークが大切で、チームで仕事をしているのだ、ということです。『医龍』は心臓外科手術のドラマです。主役が朝田龍太郎といって天才外科医なんですけれども、戦地から日本に帰ってきた、ドクター X みたいな感じの名医です。
朝田のところには荒瀬という天才麻酔医もいます。荒瀬もひねくれ先生ですが、その人を見ただけで体重を当ててしまうんです。そこにもうひとり、女性の看護師が出てきて、朝田の術中に、次に何の機材が欲しいかを全部先読みして、彼女の手から先生へと先にそれを渡すわけです。これがかっこいいんです。
それをずっと見ている時に、手術室のなかで手術をするというのは全部チームワークだということに気がつきました。そのときに、自分の仕事にそれをフィードバックしてみたんです。
手術をする前の40代の私は、一人でプレイしてたんです。しかし、手術をした後は『医龍』のような手術室を自分の会社の中に作ろうと思って、内部スタッフとかすべてをチームにしていきました。
そしてチームで動くようになると、自分の仕事量も手術の前のだいたい6掛け7掛けで、じゅうぶん同じ生産性が取れるんです。手術の前は一人で頑張っていた、手術の後はチームで頑張っている。そこが大きな違いですね。
―――仕事のやり方そのものを見直すきっかけになったのですね。
小林 また、手術の後に運転手を雇ったんです。保険屋さんの中で運転手を雇っているというのは第一生命や日本生命の支社長といった人くらいです。
運転手をなぜ雇ったかには物語があります。手術の2年前に、アメリカで保険業界のパーティーに呼ばれました。そこでクリスティーというトップセールスの女性に会ったのですが、「小林さん、あなたは秘書やお手伝いさん、運転手はいますか?」という話になったんです 。
秘書もいないしアシスタントもいないと私は言ったのですが、彼女は「秘書も運転手も雇った方がいいわよ」と勧めてきました。運転手に運転をしてもらう合間に、いつも読めない経済誌を読んだり、お客様に携帯から電話したりとか、生産性がすごく高くなるのよ、と彼女が言っていました。
彼女は自慢話をしたのだと思って当時は通り過ぎていたのですが、心臓手術が終わって仕事に戻ると、実は運転が結構しんどかったのです。運転をどうしようと思った時に、クリスティーの話を思い出しました。
そこで、ハローワークで運転手さんの募集を出したんです。そしたら私よりも年上のおじさんが来てくれて運転してくれるようになりました。そしたら面白いことが起こりました。
お客様が最初はびっくりするのですが、だんだんお客様が自慢するようになるんです。うちの保険には小林さんという担当者がいるんだけど、運転手がついているんだよ、と。おたくの保険屋さんには運転手がいるかい?って言うんです。見栄だけじゃなくてブランディングでもあったんです。
2019年の大会では心臓手術の経験を共有する座談会にも参加
■”After Surgery Fun Run”は“Quality of Life”を高める手段の一つ
―――当協会の理事として活動いただいていますが、協会として今後どのようなことを発信していけば良いと思いますか?
小林 ASFRに関しては、やっぱり術後の”Quality of Life” という言葉が私自身はピタッとくるのかなと思っています。手術が終わって帰ってきた後でどのような生活をしているのか、というところでウォーキングのこととか、食事のこととかを紹介してほしいと思います。また、手術をした心臓が何年保つのだろうな、というのにも興味があります。そろそろ私も術後15年ほど経って、どのくらい保つんだろうな、もしかしたらメンテナンスの必要があるのかとか、不安ではないけど、そろそろ気になってきています。
コロナにも終わりが見えてきましたが、コロナ禍で実際に会うことのメリットもつくづくよく分かりました。そこでASFRのイベントを通して皆さんが実際に会うときは、それは歓喜のひとときになると思います。