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心臓手術後も、そして生涯トライアスロンを続けたい

古川康弘さんインタビュー(4)

Part4: トライアスロンを通じて出会った仲間たちの記憶

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2019年のトライアスロン世界選手権参加時、でバイクを漕ぐ古川さん

 

――これまでマラソン大会は100回程度、トライアスロンは61回もの大会に出場されたとのことですが、どんなことが印象に残っていますか?

古川 私は石垣島が大好きで、サイクリングをやっていた時に沖縄と石垣島へ自転車を持って行って島を1周しました。その頃から石垣島がいいところだなと思っていました。

石垣島の大会も有名なんですけど、私が出ていた当時はワールドカップとかは全然やっていませんでした。石垣島ファミリートライアスロンという、もうなくなってしまったんですけどなかなかユニークな大会がありました。遠浅の海のコースなんですけど、日本で唯一浮き袋使用可の大会でした。


――浮袋ですか。

古川 主催した事務局長が「ファミリートライアスロン」と名前をつけたように、家族で来て誰もが参加できる、そういう大会だったんですね。私も初心者でしたから面白そうな大会だなと参加しました。何度も石垣島の大会に出ているんですけど、2回目に出た1989年の石垣島で、同じ宿に泊まった選手と意気投合して、その4人でトライアスロンチームを作りました。チーム名はストーンキッズです。石垣島をもじって、石の”ストーン”とガキという”キッズ”です。

今もそのチームはあって、たくさんの人が加わって、一番多い時は40人を超えていたと思います。私はその創設メンバーですね。 それこそ世界選手権出場者を何人も出したチームです 。

この頃はトライアスロンの第1次ブームでした。その時にできたクラブチームでいまだに続いてるチームっておそらく日本にいくつもないはずです。これはひとつの自慢です。

 

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2010年の石垣島フルマラソンに参加する古川さん。奥様も一緒に

 

――世界選手権代表でも思い出が?

2019年のハワイの世界選手権で走っている時に、黒人のアメリカの選手に出会ったのも印象的です。その選手は両足がなかったんです。膝から下が。バイクは手でこぐバイク。それで実は私は抜かれたんですよ。私は足で漕いでるのに。

それからランに移って、ランの5km地点ぐらいでやっと彼に追いついたんですけど。彼は両足義足ですから松葉杖を持ちながら義足で走っていて。

その彼を見た時に泣きましたね。もうめちゃくちゃ陽気なんですよ。彼と少し言葉を交わして、一言二言、”グレート”とか言ったり。こんな人がフルのアイアンマントライアスロンに参加しているのだと思って。今でも走っていると彼を思い出します。

あれだけのハンデを背負いながらトライアスロンやっている人間がいるんだから、まあ何が起きても何とでもなるだろうっていう感覚はありますね。

 

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